【IR資料室】
第35回 IR導入はギャンブル依存症対策整備の契機に
弁護士 渡邉 雅之 (略歴は巻末を参照)
平成28年12月15日未明に「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」(「IR推進法案」)が成立いたしました。
衆参の内閣委員会においては重要論点について踏み込んだ審理が行われましたが、その中でも議論の中心になったのは「ギャンブル依存症」です。
「カジノを含む統合型リゾート」(「IR」)の導入に懸念や反対をする論者は、「カジノを導入すると日本におけるギャンブル依存症患者が蔓延する」という主張をされています。
彼らの主張する根拠の一端は、2年前の平成26年に公表された厚生労働省科学研究班の調査結果において日本におけるカジノ導入に関連して、厚生労働科学研究班が、パチンコや競馬などギャンブル依存が成人人口の4.8%に当たる536万人にのぼるとの推計を発表したことにあります。
本稿では、IR推進法導入下におけるギャンブル依存症対策について検討いたします。
平成26年8月20日、成人の依存症について調べている厚生労働科学研究班(研究代表者=樋口進・独立行政法人久里浜医療センター院長)が、パチンコや競馬などギャンブル依存が成人人口の4・8%に当たる536万人にのぼるとの推計を発表したことが注目されました。この調査結果によれば、平成25年7月、成人約4,000人に面接調査を実施した結果、ギャンブルについては、国際的に使われる指標で「病的ギャンブラー」(依存症)に該当する人が男性の8.7%、女性の1.8%であったとのことです。
厚生労働省科学研究に基づく調査は5年に1回行われている定期的調査(「成人の飲酒と生活習慣に関する実態調査研究」)であり、平成20年に行われた調査においては、調査数7,500人(有効回答4,123人)において、ギャンブル依存症に該当する人は、男性9.6%、女性1.6%でした。
ほかの国との比較については、各国により調査年、サンプル数、対象年齢が異なっていますが、米国で1.4%、カナダで1.3%、イギリスで0.8%といった報告があります(*1)。これらの国に比して、日本はきわめて高いギャンブル依存症率であることになります。
(*1)諸外国におけるギャンブル依存症(病的賭博)の有病率」(田辺等(北海道立精神保健福祉センター)「病的賭博(ギャンブル依存症)について」より(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002rq8d-att/2r9852000002rqas.pdf)
今回の調査結果については、競馬や競輪等の公営ギャンブルのほか、パチンコ、パチスロ等の「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」に基づく「遊技」も含まれることに留意しなければなりません。その後の厚生労働省科学調査班の追加調査により、ほとんどがパチンコ依存症であることが判明しています。
同じ久里浜医療センター精神科医長・河本泰信医師は、以下のとおり、パチンコの方がカジノよりも依存症を惹起させる可能性が大きいとしています(*2)。
「パチンコやスロットは確率が決まっているので1回あたりの負けはそんなに多額にならないが、その分非常に手を出しやすい。カジノはそれなりに構えていくし、賭け金も自分で決めることができ、自分次第。そこが決定的な違い」「依存症の人は、自分で金額を決めるなどのややこしいことは本来はやらない。カジノはルーレットでも考えなければいけないし、ましてやカードゲームになるともっと理屈や駆け引きがある。そういう意味では、嫌なことを忘れたいとか現実逃避のパターンの依存症の人にとっては、何も考えずにたやすくできるパチンコの方がカジノより危険かもしれない」
(*2)ギャンブル依存症考「対処機関の充実を」久里浜医療センター精神医長の河本泰信さん(神奈川新聞2014年10月18日)(http://www.kanaloco.jp/article/74888)
カジノの導入に際し、諸外国の事例や最新の知見を踏まえて、社会に与えるマイナスの影響への万全の対策を講ずることにより、ギャンブル依存症数の減少にも寄与することができると考えられます。
2010年にIR施設を2箇所オープンしたシンガポールのギャンブル依存症対策審議会(National Council on Problem Gambling:NCPG)の調査によれば、オープン前の2008年とオープン後の2014年で、「病的賭博者と推定される者」(Probable Pathological Gambling)の割合と「ギャンブル依存症と推定される者」(Probable Problem Gambling)の割合がそれぞれ1.2%から0.2%へ、1.7%から0.5%へと推移し、IRの設置により病的賭博者・ギャンブル依存者の割合が大幅に減少していることが報告されているところです。
Survey on Participation in Gambling Activities among Singapore Residents 2014
年 | 2008年 | 2011年 | 2014年 |
---|---|---|---|
病的賭博者と推定される者の割合 | 1.2% | 1.4% | 0.2% |
ギャンブル依存症と推定される者の割合 | 1.7% | 1.2% | 0.5% |
合計 | 2.9% | 2.6% | 0.7% |
この調査結果に鑑みれば、IRの導入により、ギャンブル依存症患者の数が劇的に増加する可能性があるとは考えられず、むしろ適切な依存症対策を講ずることにより、ギャンブル依存症を十分に抑制できると考えられます。
IR導入にあたってギャンブル依存症を防止する対策としては、自国民(日本人)や永住者のカジノへの入場を禁止するという方法も考えられます。
しかしながら、自国民が入場できないカジノでは、IR導入によって期待する経済的効果を十分に引き出すことができないという問題点があります。
韓国においては当初、自国民はカジノフロアに出入りをさせない方針だったが、00年に一カ所のみ韓国人も入場できるカジノを設立した(江原ランド)。同カジノの税収は地域に貢献したものの、利用者が依存症により近隣で自殺したり、家族崩壊したりしたことが報道され、カジノの負の側面のみクローズアップされてしまいました。
江原ランドはIRとはとても呼べないものであり、カジノ施設のみがあって、その周辺が質屋に囲まれている。同カジノの失敗の原因は、ソウル都市圏からバスや電車で3時間かかる、交通アクセスの悪い山間地域に設けられ、周辺地域の観光と連携がなされていません。
ギャンブル依存症対策については、次のような一定の制約のもとで自国民の入場を認めるシンガポールの対策が参考になります。
◇カジノ入場時にIDチェックを導入 ◇ 自国民および永住者のカジノ入場に際して、1日100シンガポールドル(約8,000円)、年間2,000シンガポールドルの入場料の賦課を義務づけ ◇ カジノ内にATMを設置することを禁止 ◇ シンガポール国民は任意の申告により、損失上限を設定することが可能 ◇ カジノ事業者はシンガポール国民の顧客に対して与信を禁止 ◇ 本人、家族、関連機関が申告した場合、対象者はカジノに入場できなくなる(排除システム) |
排除システムの有効性は高いと考えられますが、家族による申請(家族排除)については、申請者を何親等以内とするか(シンガポールは一親等)、どのような要件で排除するかを検討する必要があります。
行政による自動登録による排除(第三者排除)に関しては、生活保護受給者、その他公的補助受給者、多重債務者、指定暴力団員等の反社会的勢力、その他犯罪者を排除の対象とすることが考えられます。
ただし、自己破産者については、自己破産の事実は現在のところ戸籍にも載らず、個人情報(センシティブ情報)の一つであるので、第三者排除は困難であろう。生活保護受給者も個人情報および人権の観点から、第三者排除は困難である可能性が高いです。
参議院内閣委員会における附帯決議においては以下のとおり自己排除・家族排除プログラムの導入、入場料の徴収等、諸外国におけるカジノ入場規制の在り方やその実効性等を十分考慮し、我が国にふさわしい、清廉なカジノ運営に資する法制上の措置を講ずることとされました。
8. 依存症予防等の観点から、カジノには厳格な入場規制を導入すること。その際、自己排除、家族排除プログラムの導入、入場料の徴収等、諸外国におけるカジノ入場規制の在り方やその実効性等を十分考慮し、我が国にふさわしい、清廉なカジノ運営に資する法制上の措置を講ずること。 |
なお、反対派は、シンガポールでは排除システムに登録している人数が30万人に及び、ギャンブル依存症患者が増えているとの主張をしています。しかしながら、これはミスリーディングな主張です。
シンガポールのギャンブル依存症対策審議会(NCPG)によれば、自己排除の26万7426人中、外国人が24万6560人で、シンガポール市民・永住者は2万866人に留まります。また、シンガポール市民に関しては、破産、生活保護を受けている者は自動的に自己排除とされています。
外国人労働者の自己排除が多いのは、自己排除を申請すると労働ビザを事実上得やすいからです。IR(カジノ)導入によって、シンガポール市民や永住者のギャンブル依存症が増えているという事実はありません。
【出典】シンガポールのギャンブル依存症対策審議会(National Council on Problem Gambling:NCPG)の”Survey on Participation in Gambling Activities among Singapore Residents 2014”
ギャンブル依存症対策の一つとして、ギャンブルのもつリスクについて、飲酒やたばこと同様に学校教育のカリキュラムに盛り込むことも重要です。
ギャンブル依存症に関しては、その原因を分析すると共に、IR内のカジノに留まらず、既存の公営競技や風適法上の「遊技」であるパチンコ・パチスロも含めた総合的な依存症対策を講ずるべきです。
そのためには、組織面も含めた体制整備が必要であり、十分な予算措置を講ずる必要があります。
組織体制や仕組みとしては、カジノ管理委員会が本部となってその組織の一部門として小委員会を設ける方法やシンガポールのNCPGのようなギャンブル依存症対策のための委員会を設けることも考えられます。
参議院内閣委員会の附帯決議においては以下のとおり規定されています。
10. ギャンブル等依存症患者への対策を抜本的に強化すること。我が国におけるギャンブル等依存症の実態把握のための体制を整備すると共に、その原因を把握・分析するとともに、ギャンブル等依存症患者の相談体制や臨床医療体制を強化すること。加えて、ギャンブル等依存症に関する教育上の取り組みを整備すること。また、カジノにとどまらず、他のギャンブル・遊技等に起因する依存症を含め、ギャンブル等依存症対策に関する国の取組を抜本的に強化するため、ギャンブル等依存症に総合的に対処するための仕組・体制を設けるとともに、関係省庁が十分連携して包括的な取組みを構築し、強化すること。また、このために十分な予算を確保すること。 |
Responsible Gaming(責任あるゲーミング)とは、カジノ事業者およびゲーミング事業者、ソフトウェア供給者、関連サービス供給者が、公正で安全なゲーミングを保障する基準を掲げることを求める考え方です。
内容としては、①ギャンブル依存症の保護対策、②青少年保護対策、③従業員の教育、などを含む。カジノ事業者等の内部統制基準の一つとして位置付け、カジノ場内やウェブサイトでの公表が求められています。
ウェブサイトでみる限り、カジノ事業者におけるResponsible Gamingの概念の導入の程度はさまざまであるが、日本においてカジノを合法化するためには、カジノ事業者に高度のResponsible Gamingの基準を求める必要があります。
IR推進法案におけるカジノ管理委員会は、カジノ事業者に求めるResponsible Gamingの基準を規則・ガイドラインの形で提示し、これを許可をしたカジノ事業者に遵守させる必要があります(金融機関における監督指針レベル)。
カジノ事業者においても、自社におけるResponsible Gamingについて内部規程として定め、内部管理態勢の一部として、役職員に遵守させる必要があります。その概要については、自社のウェブサイトにおいて公表することになります。
内部管理担当者は、この遵守状況をモニタリングします。
カジノ管理委員会は、カジノ事業者のResponsible Gamingの内部管理態勢について、監督・検査をすることになります。
附帯決議では、以下のとおり、ギャンブル依存症予防の観点からも、特定複合観光施設区域(IR区域)の数については、厳格に少数に限り、区域認定数の上限を設けることとされています。
4. 特定複合観光施設区域の数については、我が国の複合観光施設としての国際的競争力の観点及びギャンブル等依存症予防等の観点から、厳格に少数に限ることとし、区域認定数の上限を法定すること。 |
納付金(IR推進法12条)を徴収する場合の使途の一部としては、ギャンブル依存症対策も含めるべきです。
この点については、参議院の内閣委員会の附帯決議でも以下のとおり求められています。
15. 法第12条に定める納付金を徴収することとする場合は、その使途は法第1条に定める特定複合観光施設区域の整備の推進の目的と整合するものとするとともに、社会福祉、文化芸術の振興等の公益のためにも充てることを検討すること。また、その制度設計に当たっては、依存症対策の実施をはじめ法第10条に定める必要な措置の実施(中略)に十分に配慮した検討を行うこと。 |
IR導入についての反対派は、ギャンブル依存症対策が十分に講じられ、ギャンブル依存症患者が減少してから、IRの導入を検討すべきと主張されています。
しかしながら、ギャンブル依存症に関しては、予算措置、医学的措置、教育的措置など多くの必要なことが十分できていない現状があります。ギャンブル依存症対策に関する地域対策整備事業予算は1,100万円、研修制度予算は1,300万円に過ぎません。
また、地域対策整備モデル事業は平成26年度から、研修制度は平成28年度から始まったばかりです。
上記7のとおり、納付金の一部の使途はギャンブル依存症対策とされることとされています。依存症対策基本法を制定すべきとの意見もありますがこのような基本法の制定だけでは、依存症対策のための十分な予算措置ができない可能性があります。
ギャンブル依存症問題は注目度が高く、臨時国会におけるIR推進法案の審議において最大の争点となるでしょう。もっとも、カジノの導入にあたっては反社会的勢力の排除やマネー・ローンダリングの防止などほかにも重要な問題があります。これらの問題についても十分審議されることが望まれます。
(略歴) | (役職) |
---|---|
1995年:東京大学法学部卒業 1997年:司法試験合格 2000年:総理府退職 2001年:司法修習修了(54期) 弁護士登録(第二東京弁護士会) 2001年~2009年:アンダーソン・毛利・友常法律事務所 2007年:Columbia Law School (LL.M.)修了 2009年:三宅法律事務所入所 |
成蹊大学法科大学院 非常勤講師 (金融商品取引法担当、平成20年~) 日本弁護士連合会 民事介入暴力対策委員会 委員 日本弁護士連合会 国際刑事立法委員会 委員 第二東京弁護士会 民事介入暴力対策委員会 委員 第二東京弁護士会 司法制度調査委員会 民法改正部会 委員 第二東京弁護士会 綱紀委員会 委員 |
(主要関連論稿)
『IR導入に当たって検討すべきマネー・ローンダリング、反社会的勢力の関与の問題と提言』(NBL1036号・2014年10月15日号)
『日本におけるカジノ導入とギャンブル依存症問題』(週刊金融財政事情2014年10月6日号(3091号))
『カジノ導入に当たっての論点整理(上)・(下)』(共著)(NBL1014、1015号、2013年12月1日号・12月15日号)
「IR推進法の概要と検討すべき問題点」(週刊金融財政事情2014年1月6日号)
「カジノ法案が想定するビジネスモデルと各種規制」(ビジネス法務2014年3月号)
(関心を持った経緯と今後の研究)
もともと、銀行等の金融機関のコンプライアンスを中心に弁護士業務を行ってきました。米国留学時にラスベガスを訪問しましたが、日本において同様の統合的なリゾートができれば、経済発展に非常に資すると実感いたしました。
カジノは、金融規制、マネー・ローンダリング、反社会的勢力の排除など、「小さな銀行」といった性格があり、これまでやってきた業務に非常に親近性があります。 日本においてIR(カジノを含む統合的リゾート)を導入するにあたって、どのような規制を設けていくべきかという観点から研究を続けてまいりたいと思います。
![]() |
■対応 Android OS 4.1.1 iPhone5 iPad(safari) |