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谷岡一郎「カジノ反対派の形成とその対応策」 – Ⅱ:反対派の根拠について

2015-08-14

【IR資料室】

大阪商業大学 学長・総合経営学部 教授 谷岡一郎

カジノ反対派の形成とその対応策
―カジノ具体的プラン作成時における基本哲学と収益金の使途に関する提言-

<目次>
序:カジノ合法化の時代
Ⅰ:カジノに反対する人々
  主義・信条・哲学  利害関係  反対派の論拠
Ⅱ:反対の論拠について(コメント)
  ギャンブルは悪か  治安と風紀 暴力団の関与 青少年への悪影響
  ギャンブル依存の問題 社会的コスト雑感

Ⅲ:ラスト・リゾート
Ⅳ:収益金使途の哲学
  何のためのカジノか  収益金の使途
終章:イギリスの合法化に学ぶ

2004年9月『ギャンブリング*ゲーミング学研究』創刊号より転載

Ⅱ.反対派の根拠について(コメント)

反対派の主張するいくつかの論拠は正しいが、逆にはっきり間違っている、もしくは間違っている可能性の高いものがある。たとえば、暴力団の関与を心配する声が正しいなら、なぜ、カジノに反対するグループの中に組織暴力団が入っているのか、という問題を指摘する人がいるだろう。
これも含め、前記5つの反対派の論拠を順に解説(コメント)していくことにする。

解説(コメント)はなるべく客観的事実を中心に進めるが、実証研究があまり進んでいない分野もあるため、単なる(筆者の)感想もある。少なくても考えるべき「ポイント」をなるべく多く列挙するつもりである。

Ⅱ-1.ギャンブルは悪か―「勤労の美徳」とは何だ―
「ギャンブルなど悪いに決まっている」という論に反駁することは難しい。感情的な思い込みが根底にあるからである。筆者はギャンブルが悪いとは考えていないが、その理由を簡略に(なるべくポイントのみを)以下に述べる。
すべての人を納得させる自信はない。

まず、指摘すべきことは、日本は実態はどうあれ名目上は、近代資本主義の制度下にあるという点である。この制度において投機的な行為は奨励され、成功者は尊敬されなければならない。でなければ、国自体の目的があやふやになってしまうからである。

投機行為がすなわちギャンブルだと言えるか否かは不明だが、酷似・類似の行為であることは事実で、その根底にある思想や哲学にも似た点が多い。近代資本主義社会はそのシステムとして、ギャンブル的行為を前提とするものなのである。
かりにギャンブルが悪しき行為だとするならば、この制度下で成功すればするほど極悪人のレッテルを張られることが正統化され、たとえば松下幸之助、本田宗一郎、中内功らの人々は決して尊敬されえない人となろう。
社会学者マックス・ウェーバーが主張したように、資本主義の精神(The Spirit of Capitalism)は、それまでのキリスト教的倫理観(あなたの隣人を愛し、すべてを分ちあいなさい)をくつがえす理論支柱を与えたがゆえに、アメリカに住むプロテスタントたちは安心して投資し、富を蓄積できたのである。

ギャンブルは、人をして(金銭欲)狂わせる可能性が高いから悪いのだ、と考える人は多い。特に一部の宗教家に見られる見解である。しかし筆者は逆の見方をする。
「ギャンブルは人をして狂わせる可能性が高いものであるから、若い頃から慣れ親しみ、その本質を知る必要がある」と考えるのである。

教育の目的は世の中で生きていける技能や知識、人生観などを教えることであるはずで、くさいものにフタをして存在するものを見て見ないふりをしたところで、教育の目的が得られるわけではない。
「世の中の人は皆いい人ばかりで、困った時は助けてくれます(手をつないで一緒にゴールしてくれます)」などと教えたところで日常社会で適応できない未熟な人間を送りだすだけのこと。なぜなら日常社会はそんなところではないからである。

ギャンブル依存症に陥り、社会的な問題を作り出す人の多くは、若い頃にギャンブルを禁止されていた人々が多いのではないかと考えている。世の中で必要な免疫をつけるためには、若い頃から(なるべく親のコントロール下で)ギャンブルとつき合うことだと信ずる。

ギャンブルが悪いとする理由のひとつに、「他人が濡れ手で粟のような金儲けをしているのを見ると、コツコツまじめに働くことが馬鹿らしくなる」という論がある。
この「勤労の美徳を乱す」ことは賭博行為に対する裁判の判決にも登場する概念であり、元をただせば明治40年に現在の刑法ができた時、賭博罪(185条~187条)が設けられた理由(法理)のひとつでもある。
しかしこの論、本当なのだろうか。

まず「他人が濡れ手で粟をつかむ」ことを見て働くのが馬鹿らしく思う人は、常々何に対しても不満を持つ人であって、(ここだけの話、筆者の感想として)単に育て方をまちがえただけのことだ。
何の投資もチャレンジもせずに(リスクを取らずに)成功した人を妬むのは性根がよろしくない。加えて現在の(合法の)ギャンブルはまず勝てないシステムになっていて、宝くじにでも当たらない限り、「濡れ手で粟」レベルには達しない。

逆にギャンブルで損をしたり、借金で苦しむ人々のほうをよく見掛けるのが社会の実情であることは、(法律家以外は)皆知っている。ここに至って「ギャンブルが勤労の美徳を乱す」という主張は好意的に見てもかなりアヤシゲなものである。

アルコールも度が過ぎれば社会的コストがかかる。明日の仕事に支障を来す人もいるだろう。しかし大多数の人は明日の仕事のためのストレス解消、そして新たな活力としてアルコールを摂取している。
ギャンブルもしかりで、ギャンブル解消や余暇活動として健全に活用している人々は、勤労の美徳を乱すどころか、勤労の美徳の実を上げるために使用しているのである。

なお、宗教家が「教典の中でギャンブルを禁止している」、「よってギャンブルをしてはならない」とする、大多数が認めていない大前提を先に提示する論理は、専門用語で目的論修辞(teleology)と言い、社会科学の分野で論理的な論拠とは考えられていない。
「ダメなものはダメ」はダメである。

Ⅱ-2.治安と風紀―
治安(犯罪の増加)に対する反論は(少なくても犯罪学者の間では)ほぼ出ている。1990年代前半、カジノをスタートさせた街の犯罪が増えている、いや増えていない、といった論争がアメリカであり、他の問題(経済効果や教育)も含めて結論を出すために連邦政府が委員会を立ち上げた。

このNational Gaming Impact Study Commission(NGISC)という委員会は9名のメンバーから成り立っていたが、大統領、上院議長、下院議長がそれぞれ3名を(賛成派、反対派からバランス良く)選び、1996年にスタートした。
多くの実地見分や査問、証人喚問などが行われ、論文や著書も査読された結果、報告書が刊行されたのは1999年6月のことである。

結論を述べるなら「カジノがスタートした地域の犯罪は、(カジノを原因としては)増加していない」ということになる。ただしカジノ以外の要因の増加はあるかもしれない。たとえば犯罪学の常識であるが、カジノによって周辺人口密度が上がれば犯罪率は自然に上昇するものである。

治安と風紀は関連性の高いものであるが、風紀の乱れは犯罪でなくても起こりうることである。風俗営業店が増加したり、ホームレスの人々が徘徊したりすることがあるかもしれない。
ただしこれもカジノが原因でなく、街の発展に必然的に付随するものであることは犯罪率のケースと同じである。つまり街の発展がカジノであれ、ショッピングモールであれ、ディズニーランドであれ、人が集まり人口密度が上昇した地域においては、そのようなことが起こるものだと考えてよいのである。

監視カメラの存在や警備システムによって、カジノ・フロアー内は安全な場所として知られている。しかしこれは犯意ある人間を他の場所に移転(displacement)しているだけではないか、と危惧する声がある。
それに対し環境犯罪学の権威、ラトガーズ大学のマーカス・フェルソン教授は犯罪の移転はそれほどなく、どちらかと言えば安全な空間は近隣地に伝播して、安全空間の範囲が広がっていく傾向が強いと言う。

つまりカジノという安全な空間は地域全体に良い影響を与えている可能性が高いとしているのである。犯罪の減少は、NGISCの報告からは最終的にそうした文言は削られたが、いくつかの地域で実際に観察されていることである。
ギャンブル、特にカジノによる治安の悪化や風紀の乱れを心配する気持ちは理解できるが、少なくても日本の社会情勢が欧米のものと異なると考える理由はないのである。

Ⅱ-3.暴力団の関与――カジノは資金源になりうるか――
1999年12月、新宿にある「シャンティ」というカジノ・バーが摘発された。警察の発表によると、一年間にこのカジノ・バーで動いていた金額は推定1兆1,500億円(!)だとのこと。
だとすれば、この経営者がラスベガス並みに薄利だとしてその5%程度、つまり500~600億円が粗利益として計上されているはずである。

このシャンティが特に高級なカジノ・バーであったことは疑いのないことであるが、全国に1,000件は下らないと思われる違法カジノ・バーで毎日どれほどの金が賭けられ、結果としてどれほどの金額が組織暴力団の資金となっているのかは不明である。不明であるが「とんでもない」レベルにあることはまちがいないだろう。
組織暴力団がカジノ合法化に反対するのはこれが理由である。逆に言えば、合法のカジノができて困る代表は組織暴力団であろう。

ヤクザは自分たちが失った利権を求めて、合法のカジノにいろいろな形で乗り出してくる可能性がある。カジノで動く現金はカジノ・フロアで賭けられているものだけではない。
建築業や卸売業、リース業などいろいろな業種間で現金が動く。

ラスベガスの1950年代から80年代頃までの歴史は、組織暴力団が法の穴をみつけ、FBIや州政府がそれを新たな法律で防止する、という繰り返しの歴史だった。少なくても多くのノウハウが蓄積された現在において、合法化されたカジノはマフィアの資金源となっていない。
日本が合法化する場合、米国のノウハウを習い、現場で生かすことができる。もしそれがなされないなら、筆者はカジノ合法化に反対する立場である。

現在の日本ではカジノ・バー以外に、相撲や野球(プロや高校野球)などのスポーツの結果に賭けるマーケットも、暴力団の資金源である。
実はアメリカでもスポーツの賭けはマフィアの資金源の上位にあり、大きな問題となっているが、その主たる原因はスポーツの結果に賭けることが(ほとんどの州で)禁止されているからである。
マフィアが唯一資金を稼げない州は連邦法で禁止する前から合法化していたネヴァダ州であり、そこにはぎりぎりまで利益をそぎ落とした合法な競争が存在するからである。

結論的に述べるならば、すでに存在するコントロールのノウハウが日本でも採用されるという前提で、カジノは暴力団の資金源たりえない。逆に暴力団の問題はその資金源をカットしうるという点において、カジノは推進派の有力な根拠の一つなのである。

Ⅱ-4.青少年への悪影響
筆者の教育論として、『くさいものにフタ』的な教育への否定見解はすでに近代資本主義の見解の中で述べた。戦後の日本社会は右肩上がりの成長期であったがゆえに、そして安定性を求めるがゆえに、過度の冒険否定傾向があった。

不安定な要素は受験でも就職でもまた人生における決断でも、極力避けようという力学が働いたのである。自分の子供が大企業Aと弱小企業Bから内定をもらったとして、殆どの親は大企業を進める世の中になった。そしてその大企業よりもっと安定した公務員、教師、弁護士、医者などが優先順位の上位に来る世の中になったのである。
これでは新産業(資本主義を支える底力である)に人材がまわらないではないか。

ここで言いたいことは、ギャンブルを禁止することは青少年の健全育成に悪影響があるのではないか、という反対派の主張の逆の観点である。先に挙げた公務員、教師、弁護士、医者がどれほど尊敬されるべき業績を上げただろう。個人的見解としては、逆に世の中を悪くしたリストの上位を占める者たちである。

前にも述べたが、スポーツ振興くじ(toto)法案で予言された青少年への悪影響は実際にはなかった。そして海外におけるカジノにおいても、青少年への問題は最小限に留まっているのである。
アメリカなどにおけるカジノは、特に最近各州にでき始めたカジノは、カジノの建物の入り口とカジノ・フロアとの間に中間スペースがあり、カジノ・フロアに近づくほどチェックが厳しくなっていく。

そして何より重要な事実として、プレイヤーが違法な年齢でないことが判明した場合、その責任は適切なID要求をしなかったカジノ側にあるということである。「21才以上に見えました」と言うのは言訳にならず悪質なケースはライセンス取り消しすらありうるのである。日本のパチンコ業界のケースと対比させられたい。

入場できなくても近くにギャンブルできる環境があるだけで青少年に良くない、という考え方をする人もいよう。永遠に水掛け論を続けるのは本旨でないが、もし筆者が社長で何人かの社員を採用する立場だとすれば、または社員の中から誰かを重要なポジションに抜擢するとすれば、少なくてもその候補は無菌状態で育てられた人間でないことは断言できる。

Ⅱ-5.ギャンブル依存症の問題
ここまで反対派の論拠があまり中身のつまった主張でないことを示してきたが、真剣に聞く価値のある論拠の一つが「ギャンブル依存」の問題である。
これまでの研究によると、ギャンブル(種目が何であれ)をプレイする大人の1~2%が、完全に病気と定義しうる状況になる可能性がある。仮に1,000万人がプレイするとすれば10万人~20万人の単位で問題が起こるかもしれないわけで、これは大変な数である。

日本には大人20人に1台のマシン・ギャンブル(パチンコやパチスロ)が既に存在している。ギャンブル依存症の多くの割合、特に女性の場合は90%がマシン・ギャンブルにはまる。
実際に数えたことはないので表面には出ないが、パチンコに加え、競馬などの公営競争、もしくは宝くじ類にはまってやめられない人々は、かなりの数存在するものと思われる。

宝くじにははまることなどないと考える人のために、宝くじはある面で一番はまりやすい種目であることを知っておいてもらいたい。特に数字を自分で選択するくじ(ロト6など)は、自分のラッキーナンバーをあるとき買わないでいると不安になる。
「もし私が買わないときに当たったら・・・」、「買わない時だけ当たるような気がする・・・」などオカルトの世界に入り込むのである。広く浅く(といっても万単位だが)損をするシステムなため、ギャンブル依存症が表面化しにくいだけのことなのだ。

日本の莫大な含み資産が表面化をふせぎ、社会問題としては広く認識されていないが、ギャンブル依存症はすでに存在し、はまる人はすでにはまっている。
このうえ、カジノが合法化されてどれほど上積みされるかわからないが、カジノによる新たな影響が欧米より少ないことは予想できる。

いずれにせよギャンブル依存症の問題は、カジノ産業だけでなくギャンブル関連産業全体が対応すべき問題なのである。欧米をはじめ多くの国でカジノ・ゲーミングが合法化された背景には、法規制はなるべくなくすべきだとする方向性がある。
刑法によって罰則付きで禁止する行為から、ホモ・セクシャル、不倫、ソフト・ドラッグ、ポルノ、ギャンブルなどの行為がなくなっていったのは、そもそもあまり被害者の定かでない倫理・道徳上の禁止行為は廃止し、自由化する。
そして、対応は大人の自己責任に任せようとするリベラリズムの思想がある。こうした自由化のことを非犯罪化(decriminalization)と呼ぶ。非犯罪化するには、「守るべきは法益が実体としてない(被害者なき犯罪)」ケースで、しかも、「自由化で考えうる社会的コストがその自由の価値に比べて小さい」ことが条件である。
コカインやヘロインのように身体依存が大きく(やめると物理的に苦しむ)、使用量も増え続けるものは、解禁した場合の社会的影響が大きすぎると判断されているが、アルコールやたばこ(それに一部の国でのマリファナなどのソフト・ドラッグ)などは、社会的コストよりも個人の自由のほうが重要だと考えられているのである。

ギャンブルの社会的コストは、どう見積もってもアルコールやタバコの比ではない。はるかに小さいものとなろう。逆に自由に伴う社会の利益は、暴力団の資金カットも含めるとかなり大きいものであると信ずる。
しかし、プラス面の方が多いからと言って大いばりで合法化しようというのはいただけない。新産業をスタートする側には、マイナス面を最小限に抑える努力がなくてはならないのはその通りである。
むろんカジノ以外の既存ギャンブル産業にも責任のある事項であることをもう一度強調しておきたい。

Ⅱ-6.社会的コスト雑感
アルコールで病気とまで言わなくても、かなり危険性の増した予備軍まで含めるとアメリカ人の9.6%(約3,000万人)に達するそうだ。この3,000万人近くの人々がアルコールが原因で縮めている平均寿命の社会的コストは、そもそも計算根拠の前提として人の命の値段がわからない以上算定しようがない。

それらを含めずとも種々の病気の治療費やアルコールを原因とする事故や犯罪(例えば、けんか、性犯罪)、そして、それに付随する司法システムなどの損失は、控えめに言っても莫大なものであろう。

アメリカはかつて禁酒法(1920~1933)が存在したことがあった。その時身にしみて思い知ったのは、人々の娯楽や余暇の楽しみのエネルギーを過小評価していたという事実でなかったか。
結局、人々の楽しみを禁止することがより大きな悪を生み、アメリカはその先何十年も苦しめられることになったのである。

我々が「社会的コスト」の話をするとき、気をつけなければならないことがある。それは社会的なコストと個人的コストを混同してはいけないということである。
カジノ反対派グループが算定する社会的コストには、たとえば本人が失職した場合の収入の減少や失業保険の給付などが含まれていることが多い。しかし、ある者が職を失った場合、他の失業者がその席を埋めるだけのことで、社会全体のプラス・マイナスは変わらない。失業保険にしても、他の福祉支出にしても、給付先が変わるだけかもしれない。そもそも失業保険なるものは、国民がいざという時のために積み立てたお金であって給付を受ける者がいることが前提のもののはずである。それを社会的コストと呼んでよいものなのだろうか。

社会的コストは、その産業なかりせば(禁止されていれば)存在しえなかった余分なコストのことである。確かに、ギャンブル依存症のカウンセリングや治療施設、またはギャンブルを原因とする犯罪行為を司法プロセスで処理する費用などは、ギャンブルなかりせば発生しなかったコストであろう。
しかし、会社から盗んだ現金などは、会社にとっては損害であっても、その金を消費した先(例えばバー)にとっては利益である。ここに社会的コストと個人的コストの混同が観察されるのである。

誤解を恐れずに言うなら、反対派の出す社会的コストはかなりオーバーにねじまげられたものが多い。加えて社会の利益(プラス)面に関しても、ひょっとすると一番重要かもしれない「人々のストレス解消」の効果が無視され、直接計算しうる雇用や税収に限定している。
これでは公平なコスト計算とは言えない。

もう、ひとつ重要な視点がある。それはアメリカではカジノがスタートしてやっと、ギャンブル依存症患者の治療が軌道に乗ったという事実である。
最近ドメスティック・バイオレンス(DV:家庭内暴力)の数が急増しているのを御存じだと思うが、これはDVが増加したのではなく、手軽に相談できる環境が整いつつあるだけのことである。

同じようにたとえば、日本にギャンブル依存症を相談したり、治療したりできる環境を享受できる人はどれくらいいるだろうか。そして、そもそも自分がギャンブルをやめられない「病気」だと認識している人がどれくらいいるだろうか。

つまり、カジノ合法化によって、「将来表面化するであろうギャンブル依存症患者すべてを社会的コストの対象とすることの不当制」を指摘しておきたいのである。
ギャンブル依存症患者を何もせず放置しておことの方が、長い目で見て社会的損失は多いはずである。つまり「何もしないこと」の社会的コストも考えられるべきである。
カジノを作らなければ発生しない「社会的コスト」の概念や定義をもう一度考える時期に来ていると思う。

カジノIRジャパン


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